好きを追い続けた先で、名もなき生き方をつくる。 / Creative LAB. DAY3 Open Lecture

好きを追い続けた先で、名もなき生き方をつくる。 / Creative LAB. DAY3 Open Lecture

2026.04.04
空想地図作家・地理人(今和泉隆行)さんを招いたCreative-LAB.第3回オープンレクチャーのレポート。会社を辞めてからの収入内訳や「無収入トレーニング」など、好きを続けながら食いつなぎ仕事を作ってきた経緯を率直に語った。肩書きより先に行動があり、続けた先で「名もなき生き方」が形になったと説いた。
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その夜、地理人こと今和泉隆行さんは開口一番こう言いました。「プライドがないので、大体何を聞かれても大丈夫です」と。

Creative-LAB.の第3回はオープンイベントとして開催され、「つくることは、生きること」をテーマに今和泉さんをゲストに迎えました。空想地図作家として知られる彼が語ったのは、地図の話ではなく、それ以前の話ーーどうやって食いつないで、どう仕事を作ってきたか、ということでした。


 「空想地図で食えているか」という問いへの、正直な答え

まず今和泉さんが示したのは、自分の収入の内訳でした。空想地図の受注制作やアート出展が占める割合は、2011年から2023年の累計で19.6%。つまり「空想地図作家」としての純粋な収入は、全体の2割に満たないのです。

では残りの8割は何か。著述、講義・ワークショップ、地図や地理に関するプロジェクト参加、実在地域の地図デザイン……。並べてみると、ほぼすべてが地図・地理に関係しています。

「空想地図を発端に、ほとんどの仕事が生まれたのは確かです。だから『空想地図作りが仕事につながった』は、嘘じゃない」

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食えないブルーオーシャンで、どう生き延びるか

会社を辞めたのは2011年、26歳のときでした。高校で物理の単位を落として強制文転。地理学科に入ったものの進路が見えず、別の大学に編入。都市設計コンサルタントでアルバイトするも業界の厳しさに志望を断念。「一発で最適な進路は選べない」という自覚のもと、取引先の多いIT企業に入社しましたが、2年で退社しました。

退職後、今和泉さんが設定したルールはシンプルでした。「2年間で自営業の収入が増えなければ転職、増えれば自営業化する」。自分が自営業に向いているのか、それとも勤め人が合っているのか、まず試してみようという発想です。

当初の仕事は4つに分類できました。DTPデザイン、情報・地図デザイン、地理情報編集、そして空想地図関連。上にいくほど需要があり競合も多い「食えるレッドオーシャン」、下にいくほど需要も競合もない「食えないブルーオーシャン」です。

「最初はDTPデザインで食いつなぐしかない。空想地図で仕事をもらえるようになったのは、会社を辞めてから4年後、2015年のことです」


無収入トレーニングという発想

退職直後、今和泉さんはしばらくアルバイトでつないでいました。多少の貯金はあったものの、根底に「とにかく月収が必要」という焦りがあったので、2年後に彼はある行動を起こします。

「まず、預金が減ることへの抵抗を減らそうと思って。勤めに入らずに、減りゆく通帳をただ見て慣れていくトレーニングをしました」

1ヶ月目はピリピリします。2ヶ月目もまだ焦る。3ヶ月目になると、減っていくことに見慣れてきて、「このままいくと8ヶ月で死ぬな」というのが現実的なものとして見えてくる、と言います。

「うっかりこのトレーニングを経ずにビビっていると、虚勢を張って仕事があるふりをするか、適当なバイトを入れて本当にやりたいことができなくなる。短期的な大丈夫じゃなさを自分の中に認めさせると、長期的には大丈夫になってくる」

3ヶ月後、減ることに慣れたタイミングでアルバイトと派遣社員を始め、収入を回復させました。夜勤でチラシを制作する仕事で、時給は2,000円ほど。週3日働けば食えなくはない、という状態をつくりながら、空想地図に関わる仕事を少しずつ育てていきました。


徐々に1から4へ

2013年後半、自営業の割合がアルバイト・派遣を上回り、初めて自営業化が決まりました。

しかしそこからすぐに空想地図の仕事が増えたわけではありません。スライドに並んだ数字が、その経緯を正直に示していました。2011〜13年はDTPデザインが収入の45%を占め、空想地図関連は36%——ただしこれは書籍の依頼が「たまたま2発来た」ことによるもので、なければほぼゼロだったといいます。

それが2019〜23年になると、空想地図関連が50%を超え、DTPデザインは1.6%まで下がっています。

「徐々に1から4に重心が移っていった、というのが実際のところです。最初からブルーオーシャンに飛び込んだわけじゃない」

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この変化を後押ししたのは、自ら営業したからではありませんでした。今和泉さんは「応募しない、提案しない、超受動的な人間」と自称します。それでも仕事が広がったのは、空想地図という「飛び道具」を持って、呼ばれればさまざまな界隈に顔を出し続けたからと言います。

まちづくり、ベンチャー・メディア、デザイン、建築、アート——気がつけば、地図・地理の界隈に辿り着いたのは一番最後だったそうです。


トガりとは「苦じゃないこと」

今の時代に必要なことは、今和泉さんからはどう見えているのでしょうか。

「昭和の時代は、平均的にできる人がたくさんいることで社会が回っていた。でも今は、平均的にルール通りやる動きはAIが取って代わってしまった。欠損があってもどこかがトガっている人のほうが良い時代です」

ただし、トガりは「得意科目」とは限らないとも言います。

「他人と比べて、自分にとってそう苦じゃないこと。無意識で気づかない癖。そういうものが意外とトガりです。周りの人が大変そうにしていることを、自分は別に苦じゃないと思っている——そこに気づけるかどうかです」

そして弱みについても、3つの向き合い方があると言います。失う結果も込みで諦める。最低限必要な範囲は克服する。他の強みでカバーする。

「弱みを無理に消そうとしなくていい。うまくいけば、弱みをカバーしようとした先に、独特の強みが生まれることもある」

今和泉さん自身も、地図・地理でナンバーワンではないと言います。ただ、地図の知識とデザインと、地図に興味のない人への説明力を掛け合わせると、オンリーワンになる。

「特に地理関係はデザインとコミュニケーションに強い人が少ない。そこで私はどうも仕事を得ているくさい、ということがあります」

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名もなき生き方

地図会社に入っていないのに、地図会社の仕事をしています。市役所に就職していないのに、まちづくりプロジェクトに関わっています。教員免許も修士もないのに、高校で授業をしています。

「昭和の時代は、仕事は組織の中で完結していた。でも今は、新しいことを始めるために外部のスペシャリストを呼んでくる時代になっている。就職しなくても、外から入っていける道があります」

肩書きが先にあるのではなく、やっていることが先にある。「空想地図作家」という名前も、描き続けた結果、後からついてきたものです。

「何者かになることを目指したわけじゃないんです。続けていった先で、気がついたら形になっていた、という感じです」


レクチャーが終わった後、会場にはしばらく雑談が続きました。「目標はあったんですか?」という問いに、地理人さんは間を置いてこう答えました。

「ない」

目指す北極星ではなく、手元の羅針盤で動いてきた。それでも「競合のいないブルーオーシャンに向かう」という方角だけは、ずっとぶれていなかった、と言います。

好きなことは、最初から食えるとは限りません。でも、焦って手放す必要もないのです。

(書き手:神田 慶彦)


登壇者プロフィール

今和泉隆行(地理人)/ 空想地図作家
1985年生まれ。7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。空想地図は現代美術作品として、各地の美術館にも出展。


Creative-LAB. DAY3 Open Lecture

日時:1/30(金)19:00-21:00
会場:YOHJOH (Kameido)
実施方法:ハイブリッド開催
レクチャラー:今和泉隆行(地理人)
主催:Creative-LAB.(TSGコミュニティ)

Creative-LAB.とは
Creative-LAB.は、建築・デザイン・アートなどのクリエイティブ領域に関心を持つ若者/学生(15〜25歳前後を対象)に向けた、実験的な学びの機会と対話の場を提供しています。「自分の中にある”つくるため”の問いに向き合いながら、自らの”生き方”を重ねていく」ことを目標にし、若手クリエイターによるメンタリング機会や、思考の幅を広げ、問いを磨くためのワークショップ、自ら問いを持ち実践をする若手クリエイターによる連続レクチャーを2ヶ月間限定で提供するコミュニティです。



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